新聞を教育現場で活用するNIEの今年度の実践校に指定されている出雲市大津町の県立出雲商高で31日付の各紙記事を比べながら、「同じニュースでも伝え方が違うこともある。さまざまな視点に触れることで、物事を見る時の自分なりの物差しを作っていって」と呼び掛けた。1年2組を担当した。1年生4クラスを対象に、山陰中央新報社、読売新聞社、毎日新聞社の記者計4人が参加した毎日新聞出雲駐在の細谷拓海記者は、結論の後に詳しい説明が続く「逆三角形」を基本とする新聞記事の構成や、ニュース価値なども示す見出しの役割について説明。
1946年8月2日。ソ連軍の捕虜となった森山俊郎さんはシベリア鉄道でウクライナの小都市・スラビヤンスクまで連行されたが、ノルマを達成しても食事は粗末なまま。ライ麦の粉で作った1杯のかゆを2人ですすったこともある。味もなければ満腹感もない。過労と寝不足も加わって病人が続出し、森山さんも2カ月ほどで体調を崩して町の収容所に戻された。だが、食糧事情はさらに悪化した。だが、過酷な環境に耐えきれず、朝起きると冷たくなっている仲間も相次いだ。地面が凍結しているため雪の中に埋めたが無我夢中だった。当初は「強兵」に分類されていた森山さんも「準弱兵」と自らを奮い立たせた。畑で収穫後のキャベツの茎を見つけると、生のままかじった。泥にまみれ、ひからびているため汁も出なかったが、「帰国という望みをなくしたら命はない。」といつも言い聞かせていたという。47年7月になると、作業の合間に映画を見させてもらえるようになった。「荷物をまとめて広場に集合せよ」。そんなうわさも流れた。「喜びをどう表現したらいいか、それさえ分からなかったのでしょう」。普段はうるさいソ連兵も笑って歓喜の輪を見ていた。そして8月8日正午、突然作業中止命令が出た。「帰国が近いらしい」。一瞬静まり返った後、ざわめき、歓声が広まっていく。9月15日午後4時ごろ、引き揚げ船信洋丸に乗船していた森山さんは「あまりうれしいと言葉も出ない。皆で黙って食い入るように見つめていましたね」と振り返る。舞鶴港経由で故郷の松江に着いたのは47年9月30日。家を目指して歩いていると知らせを聞き駆けつけた兄とばったり会った。「俊郎か? ご苦労さん」。優しくねぎらわれたが言葉は出ず、ただただ涙があふれた。
島根県教委と大田市教委が設置した石見銀山世界遺産登録5周年を迎えることから、県と市が協同体制で、間歩や露頭掘り跡の総合調査を今年度から実施すると県、市が報告した。世界遺産のコアゾーン、バッファゾーンで、同遺跡が来年で世界遺産センターであった。会合では、委員長に町田章・前奈良文化財研究所長を選出。県の文化財課や市の石見銀山課が、これまで行った調査研究を報告した。今年度から行う間歩・露頭掘り跡の調査はこれまで権利の譲渡などで立ち入りできなかった180ヘクタールのエリアについて、分布を調べ、文献資料と併せて分析調査を行うという。
松江市美保関町の美保神社に奉納され保管されている。7月3日まで。「美保神社奉納鳴物」が出雲市大社町杵築東の県立古代出雲歴史博物館で開かれてきた楽器を展示した。「音曲の神さま 美保神社」は、音曲を好むえびす様を祭っており、古くから幅広い層の人々が琴や太鼓、尺八などさまざまな楽器を奉納してきた。展示では、美保神社の神事を伝える絵巻などと一緒に約60点の楽器が並ぶ。幕末に松江藩の軍艦八雲丸が奉納した日本最古とされるオルゴールや、アコーディオンなどの洋楽器もある。展示室では、このオルゴールのメンテナンスの際に録音された音楽が響いている。